「たとえ」の功罪
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ナレーター:
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北條 仁吾
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著者:
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甲野 善紀
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■凄まじい寂寥感2012年10月5日。新潮社主催の小林秀雄賞、新潮ドキュメント賞の授賞式とパーティーに行く。毎年10月の第一金曜日は、この授賞式と決まっているので、空けるようにしているのだが、その理由の何割かは養老孟司先生にお会いしたいという理由があったと思う。ただ、今回、図らずも、そう遠くない時期に「お会いしてお話しをしましょう」と約束していた増田俊也氏が『木村政彦は、なぜ力道山を殺さなかったか』で新潮ドキュメント賞を受賞され、まずそのお祝いを申し上げたい、という大きな出席理由があった。新潮社の足立真穂女史に養老先生共々、増田氏を紹介して頂き、御挨拶をした。さすがに格闘技雑誌のカメラマン等も撮影に来ていて、養老先生も含めて3人での写真を依頼され、カメラに収まった。その後、増田氏の北大柔道部時代の部員の方々(増田氏が武術雑誌に連載されている、北大時代を回想されているノンフィクション「七帝柔道記」に登場されている柔道部員の名札をつけた方々)に、「あの甲野先生ですよね」と話しかけられたので、「リアルファイトをされている方々は、私のような者は胡散臭く感じられるでしょう」と言ったところから会話が始まる。(本文から)甲野善紀の「風の先、風の跡~ある武術研究者の日々の気づき」はこちらから→http://yakan-hiko.com/kono.html
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著者: 甲野 善紀
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このところ『歎異抄』のことが気になって、私も何度か関西で公開トークをさせていただいた練心庵の釈徹宗先生に、お勧めの『歎異抄』や親鸞上人に関する本を伺ったところ、いくつかメールでお知らせいただいたので、梯實圓著『聖典セミナー歎異抄』・『親鸞聖人の教え・問答集』や、梯實圓・平松令三・霊山勝海共著の『念仏と流罪』などを購入。また釈先生からはNHKEテレの『100分de名著』のテキストやDVDなども送っていただいた。 私がなぜ『歎異抄』や浄土宗、浄土真宗に最近強く関心が出たかというと、多くの人に知られている「善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや」の「悪人正機説」の底にある考え方は、「悪人というのは、その悪をせざるを得ない巡り合わせの気の毒な人なのだから、そういう人にこそ救いがなければならない」ということではないかと思うからである。(本文より)甲野善紀の「風の先、風の跡~ある武術研究者の日々の気づき」はこちらから→http://yakan-hiko.com/kono.html
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著者: 甲野 善紀
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- 投稿者: covy 日付: 2018/05/01
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ナレーターが
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著者: 甲野 善紀
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著者: 甲野 善紀
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ストーリー
奈良県の飛鳥地方は、古代に都が置かれた、日本文化揺籃の地。 そこは、著名な石舞台古墳をはじめ、数多くの巨石構造物が残る地でもある。 それらのうちの幾つかは、大洪水の伝承や、ゾロアスター教の拝火台説など、 使途不明で、奇妙な言い伝えが残る、謎に包まれたものも少なくない。 そんな飛鳥の中心地に「飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)」が鎮座する。 飛鳥に都が置かれる以前から当地に鎮座する、出雲系の極めて古い神社であるが、 境内には数多くの男根と女陰の形の石が祀られており、飛鳥巨石文化の一部を成す。 この神社に伝わる「お田植祭(おんだまつり)」も、奇祭として知られる。 豊作と子孫繁栄を祈るこの神事では、天狗とオカメが性行為の踊りを奉納する。 現代では、前近代的な奇習としてばかり注目されがちなこういった文化も、 かつては家や村落の存続を賭けた、真摯な祈りが込められたものであった。 何となれば「子作り」は、現代においても、人工授精・体外受精など、 先端科学の粋を集めてでも成し遂げたいと願う人々も少なくない、 「自然の神秘」に左右される、困難で切実な事象だからだ。 近代以前の、生存率の低い社会にあっては、「子作り」はまさに神頼みであった。 子のない夫婦が神に祈って超人的な子を授かるのは、民話の定番でもあるし、 ...
著者: 高橋 御山人
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お掃除ロボットが起こした静かな革命
- 著者: 名越 康文
- ナレーター: 根本 泰彦
- 再生時間: 7 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
先日、とある雑誌の企画で、いわゆる「お掃除ロボット」を使わせていただく機会がありました。正直、これまであまり必要性を感じたことはなかったのですが、使ってみると非常に面白かった。 ただ、僕の自宅で使い続けるにはひとつだけ、大問題がありました。それはお掃除ロボットが部屋を動き回るたびに、インコの「おもち」が、引きつけを起こしそうなぐらいに怖がってしまうということです。お掃除ロボットも捨て難いけれど、「おもち」はまぁ義理のある以前からの同居人(鳥)ですからね。残念ながら我が家で使い続けるのは不可能! ということになり、大阪出張のついでに、母親に譲ることにしました。 私の母親も80歳を超えていて、僕としては「お掃除ロボットなんて、使い方わかるのかなぁ?」と半信半疑だったんですが、ふたを開ければすごく喜んでくれました。よく考えてみればうちの母親は掃除や洗濯といった家事が大の苦手。彼女にとっては、「勝手に掃除をしてくれるロボット」というのは、文字通り夢のような家電! ということなのでしょう。(本文より) 名越康文の生きるための対話(dialogue)はこちらから→http://yakan-hiko.com/nakoshi.html
著者: 名越 康文
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フェアネス(公平・公正)とは何か
- 著者: 内田 樹
- ナレーター: 古川 雅達
- 再生時間: 15 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
フェアネス(公平・公正)とは何でしょうか。中央と地方、老人と若者、富裕層と貧困層。今の日本ではさまざまなところで不公平感が高まっています。しかしそもそも社会がどうなれば「公平・公正である」と言えるのか? と考えると、一筋縄ではいかないように感じます。 ちょっと武者震いするようなよい質問であります。 フェアネスとは何か。 たしかに僕はこれまでこの言葉を頻繁(ひん ぱん)に使ってきていながら、その定義を「自明」のことだと思って、改めて吟味したことがありませんでした。ご質問をいただいたことを奇貨として、この語の意味について考えてみたいと思います。 ある語の定義をするときのやり方は記号論的には定型があります。「それが何でないか」から詰めてゆくのです。 フェア(fair)の反対語は何でしょう。よく使われるのはunfairです。でも、これは「フェアじゃない」ですから、何も言っていないのと同じ。 僕の見るところ、一番印象的な反対語はfoulです。(本文より) 内田樹&平川克美のメルマガ「大人の条件」はこちらから→http://yakan-hiko.com/uchida.html
著者: 内田 樹
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会社とは「戦闘集団」である
- 著者: 内田 樹
- ナレーター: 古川 雅達
- 再生時間: 22 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
昨今、ブラック企業の問題が取り上げられるようになりましたが、その一方で大企業であれば安心、というほど話は単純ではないように感じます。多くの人が会社組織に所属する現代において、私たちはどのような会社、あるいは組織を選ぶべきでしょうか。 「会社」というもののあり方はもうこの50年ですっかり様変わりしてしまいました。1960年頃のサラリーマン映画(森繁久彌の『社長漫遊記』シリーズとかクレージーキャッツの『無責任』シリーズとか)の登場人物たちが「会社」というときのニュアンスはもう現代のサラリーマンにはほとんど共感不能でしょう。(本文より) 内田樹&平川克美「大人の条件」はこちらから→http://yakan-hiko.com/uchida.html
著者: 内田 樹
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雇用はなくても、仕事はある
- 著者: 平川 克美
- ナレーター: 菅沢 公平
- 再生時間: 21 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
どうも、ヒラカワです。 質問をいただきました。 <質問> 「いつも内田 樹さんと平川克美さんのメルマガを楽しく拝見させてもらっています。僕は38歳になる非正規労働者です。仕事は最低賃金に近く、給料は10万円前後。体調を崩したりすると、時給制なので月に10万にも満たない給料になります。自分一人が食べていくのが精一杯な状況です。 そこで質問なのですが、僕らの親の年代は65歳と、ほぼ団塊の世代だと思います。つまり、僕らは団塊ジュニア。まさに、第二次ベビーブームと呼ばれた世代。そんな僕らが今30代後半です。就職は氷河期でした。仕事もなかなか見つけられませんでした。世の中的に言うと、僕らのような団塊ジュニアの世代が、30代後半、40代と、まさに時代を担う(?)世代のはずなのですが、なんだか僕を含めて、幼い気がしてしまうのです。アニメ世代とも言えるのでしょうか……。短絡的な人(反知性的というのでしょうか)が多いように思い、今の政治や経済の状況を鑑みても、暗澹たる気持ちになります。(本文より))内田樹&平川克美の「大人の条件」はこちらから→http://yakan-hiko.com/uchida.html
著者: 平川 克美
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弱い人間はつい希望を語る――オーウェル的世界と言葉
- 著者: 平川 克美
- ナレーター: 菅沢 公平
- 再生時間: 32 分
- オリジナル版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
■政治の言葉が棄損したもの 消費税延期に対して、安倍さんはかつて「上げません」「いや、上げます」と何度も宣言と撤回を繰り返したうえで、選挙が近くなると「消費税を上げない」と決断しました。その際、彼は「これまでのお約束とは異なる新しい判断をした」んだと言いました。そのうえ、「選挙で、このことが信任されるかどうかを問いたい」と述べた。 いやぁ、驚きました。一国の首相が、これほど、言葉の意味を腐敗させ、言葉に対する信頼を棄損する光景を目の当たりにしたのですから。この言葉を聞き、私はすぐにある世界を連想しました。イギリスの作家ジョージ・オーウェルが書いた『1984年』です。(本文より) 内田樹&平川克美の「大人の条件」はこちらから→http://yakan-hiko.com/uchida.html
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真の正義、希望を語る力
- 投稿者: (・o・) 日付: 2018/03/22
著者: 平川 克美
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誰からも評価されない「助走期間」が本当の才能を育ててくれる
- 著者: 名越 康文
- ナレーター: 根本 泰彦
- 再生時間: 18 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
■才能の本質は、誰も評価のくだしようがない場所に宿る 「人は誰でも、その人だけの才能を持っている」ということがよくいわれます。確かに、一言で「才能」といっても多様です。頭が良い人には学者の才能があるかもしれないし、発想の斬新さを持つ人は、アーティストの才能を持っているかもしれない。運動能力の高い人は、アスリートとしての才能に恵まれている、といえるかもしれない。 でも、もしそういうものだけを「才能」と呼ぶのであれば、やはり才能というのは、一部の恵まれた人だけに宿るもの、というほかないでしょう。なぜなら、現実問題としてそれらの「才能」を開花させ、大きな成功を収めている人はごく一部だからです。あるいは、若い頃「才能がある」と評価されたとしても、その世界で20年、30年という時間を経てなお高い評価を得続ける人は残念ながら、わずかです。(本文より) 名越康文の生きるための対話(dialogue)はこちらから→http://yakan-hiko.com/nakoshi.html
著者: 名越 康文
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労働とは不自然なものである
- 著者: 内田 樹
- ナレーター: 古川 雅達
- 再生時間: 24 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
「働くことが生きがい」という人もいれば、「仕事は生活していくための手段」であって、できることなら遊んで暮らしたい、という人もいます。人間にとって「働く」とはどういうことでしょうか。 「働くとはどういうことか?」 大切な主題なので、じっくり論じることにします。 働くこととは何か。それを定義してみましょう。 「それが何であるか」を実定的に定義するよりは、「それが何でないか」を詰めていったほうが話が早いということがよくあります。今回もその手を使ってみましょう。 「働くこと」、「労働」の対立概念は何でしょうか。それは「何でない」のか? 「怠けること」でしょうか? なるほど、そういう二項対立もありそうです。 労働と無為。 でも、ほんとうにそうでしょうか。 よく考えてください。「無為」の対立概念は「有為」です。(本文より) 内田樹&平川克美「大人の条件」はこちらから→http://yakan-hiko.com/uchida.html
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労働とは不自然なものである。
- 投稿者: K.yshd 日付: 2024/06/18
著者: 内田 樹
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格差論のアポリア
- 著者: 内田 樹
- ナレーター: 古川 雅達
- 再生時間: 34 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
今の社会は、年金制度ひとつを取ってみても、若者が虐げられ、老人を優遇している面があるのではないでしょうか。社会全体の活力を増すためにも、子育て支援を拡充するなど、もう少し若い世代に再分配すべきだと思うのですが。 少し前、NHKのテレビで「ニッポンのジレンマ」という番組をやっていました。30~40代の若手知識人を集めた円卓会議のようなもので、格差の問題、そしてご質問にもある「世代間対立」のことが論じられていました。最初は面白く見ていたのですが、途中でなんだかうんざりして消してしまいました。 その少しあとに、友人の平川克美君とその話題になりました。平川君もこの番組を見ていて、僕と同じように、途中でうんざりして消してしまったそうです。何でうんざりしちゃったんだろうね、というところから話が始まりました。 「金の話しかしてないからじゃないかな」というのが二人の合意点でした。格差の問題、年金の問題は、今、「世代間における社会的資源の分配の不公平」という枠組みで論じられています。(本文より) 内田樹&平川克美「大人の条件」はこちらから→http://yakan-hiko.com/uchida.html
著者: 内田 樹
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「答え」ではなく「問い」が人を成長させる
- 著者: 岩崎 夏海
- ナレーター: 落合 佑介
- 再生時間: 7 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
人間にとって最も有効な問いといえば、それは「生」と「死」にまつわるものだろう。 「人はなぜ生きるのか?」 「人はなぜ死ぬのか(死ななければならないのか?)」 というのは、子供でも自然と興味を引かれる非常に強力な問いである。 では、生、あるいは死について、自然と考えさせてくれる本とはどういうものか? ぼくの場合、それは手塚治虫が描いたマンガ「火の鳥」だった。「火の鳥」の中でも、特に「鳳凰編」だ。 「火の鳥 鳳凰編」には、我王と茜丸いう二人の主人公が出てくる。我王は、生まれてすぐの事故がもとで、片目と片腕を失った。一方茜丸は、その我王に襲われて、片手が不自由になった。そういうふうに、この作品は主人公が二人とも障害を抱えている。そしてこの二人は、ともに仏師として彫刻を彫ることを生きる営みとしている。(本文より)岩崎夏海の「ハックルベリーに会いに行く」はこちらから→https://yakan-hiko.com/huckleberry.html
著者: 岩崎 夏海
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贈与の訓練としてのサンタクロース
- 著者: 内田 樹
- ナレーター: 古川 雅達
- 再生時間: 11 分
- 完全版
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総合評価
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ナレーション
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ストーリー
小さな子どもを持つ親の多くは、サンタクロースを演じます。子どもには気づかれないように、しかし子どもが欲しがるプレゼントを枕元に置くサンタクロースというのは、ある意味で「贈与」の理想のように感じます。 サンタクロースの存在をいつまで信じていたのかという問いの答えは人によってさまざまで、僕が訊いた中では「20歳すぎまで信じていた」という人もいましたし、「小学校低学年でわかった」という人もいました。 ただ、共通するのは、あるクリスマスの日に一挙にわかったのではなく、何年かかけてしだいにわかってきたということです。 実際にお父さんが枕元でごそごそやっているのを子どもは視認することもよくあるわけですけれど、そういう場合には、「お父さんは夢遊病状態にあり、サンタさんが憑依(ひょ うい)して、その贈与行為を代行しているのである」という説明を子どもたち自身が(しばしば自主的に)採用して、その事態を合理化しているようです。 子どもを持つ何人かからの聞き取りではおおむねそうでした。(本文より) 内田樹&平川克美「大人の条件」はこちらから→http://yakan-hiko.com/uchida.html
著者: 内田 樹