『天理教の時間「家族円満」』のカバーアート

天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

著者: TENRIKYO
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このコンテンツについて

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。 スピリチュアリティ
エピソード
  • あっぱれスピーチ
    2025/05/23
     あっぱれスピーチ                    岡山県在住  山﨑 石根  我が家の子どもたちが通う中学校では、毎年3学期になると「私の主張発表会」という行事が開催されます。受験生ではない中1と中2の生徒全員が3分ずつスピーチの原稿を作って、クラスで発表し、みんなで評価をし合う行事です。  発表会の日は参観日も兼ねているので、中2の娘が「お母ちゃん、聞きに来てよ」とお願いをしていましたが、当日、妻は教会の御用があったため、参加が叶いませんでした。ですので、私が「ととは行けるで」と伝えるも、「ととは来なくていい」と、悲しい返事です。  そして迎えた当日、私は都合をつけることが出来たので、学校に足を運びました。他のクラスも覗きましたが、どの生徒たちの発表も目を見張るような素晴らしい内容ばかりです。環境問題や人権問題、SDGsなど大人顔負けのテーマが続き、いよいよ娘の番になりました。  教卓の前に立った彼女は、「当たり前と有り難さ」と元気な声でタイトルを述べると、「皆さんは生きる有り難さを感じたことがありますか? また、それはどんな時ですか? 少し考えてみてください」と、雄弁に語り始めました。  私はタイトルを聞き、「おや?」と思いました。そして、話の内容を聞いていくうちに、「やっぱり!」という気持ちになりました。  それは約一年前の教会の行事で、私が参加した子どもたちに話した「神様の話」そのものだったからです。娘の話には「天理教」とか「神様」という単語は出てこないものの、「当たり前ということはこの世の中に一切ない。当たり前の対義語は〝ありがたい〟だから、日々の当たり前に感謝をして、生きる喜びを感じることが大切だ」というような、私たちが信仰生活で大切にしている内容だったのです。 親のひいき目を抜きにしても、娘の発表は実に圧巻のパフォーマンスであり、日頃から講話を務める教会長の私に勝るとも劣らない、少しも引けをとらない堂々としたスピーチでした。 帰宅後、妻に発表会での様子を伝えた私は、娘に「ととの真似やったなぁ」と少し意地悪を言いました。すると彼女は、「ととの真似じゃないし! 私のオリジナルやし!」と怒ります。 すかさず妻が援護射撃をしてきました。 「いや、考えてみてよ。あなたの原稿を見て、今回のスピーチを考えたわけでもないし、一年も前に聞いた話をこうやって自分の言葉で再現できる、しかも自分の主張に変えられるって、これって考えてみたら、ものすごく立派なことじゃない?」  妻にそう言われ、私も「そうだよな…」と得心しました。 内容は私の影響を受けていたとしても、彼女自身がそれを胸の内に飲み込んで、「こういうことかな?」と消化し、そして「自分の言葉でみんなに伝えたい」と思って、スピーチで表現してくれたのです。そのことを思うと、私は何だかとても嬉しい気持ちになったのでした。 さて、この行事は、発表後に生徒同士で内容や原稿、パフォーマンスの部分をお互いに評価し合い、先生の評価とあわせてクラスの代表を選びます。さらに、その中から学年代表に選ばれると、市が主催する行事に出場できることになるのです。 残念ながら、娘はクラスの代表には選ばれたものの、学年の代表には選ばれませんでした。しかし、彼女が堂々とみんなの前で、私たちの信仰の基本中の基本である「感謝の気持ちの大切さ」を伝えてくれたことが、私たちにとっては大きな大きな喜びであり、金メダルをあげたくなるような雄姿でした。 「育てるで育つ、育てにゃ育たん。肥えを置けば肥えが効く。古き新しきは言わん。真実あれば一つの理がある」(M21/9/24)という神様のお言葉があります。  私たち夫婦も、子どもを育てる前に、私たち自身が信仰的に育っていくことが大切だと、常々自分たちに言い聞かせているつもりです。素晴らしい神様の御教えや、教祖のぬくもりを何とか子どもたちに伝えたい。そのために私たちがまずこの教えを実践し、その後ろ姿を見て、子どもたちに伝わればと願ってやまない毎日なのです。...
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    1分未満
  • 出直し
    2025/05/16
    出直し 千葉県在住  中臺 眞治 今から21年前、私が大学を卒業して間もない頃の話です。ある日の朝、父から電話があり、「Aさんが今、入院していて、いつ出直してもおかしくない病気なんだけど、今日は用があってどうしても行くことが出来ないから、お前、代わりに行っておさづけを取り次いできてくれないか?」と言われました。 Aさんというのは80代の男性で、若い頃から熱心に信仰を続けてきた方です。 それに対して当時の私は、おさづけの理は拝戴していたものの、ほとんど取り次いだことはありませんでした。また、Aさんとは小さい頃に少し面識があっただけで、お話した記憶もほとんどありませんでした。 そういう自分が、病気でもうすぐ出直すかもしれないという人の所に行っていいのだろうか?と迷いましたが、父から「Aさんは昔から熱心に信仰をされてきた方だから。行けば喜んでくれるから」と言われ、「分かりました」とその御用を受けることにしました。 すぐに電車を乗り継ぎ、Aさんの入院している病院へと向かいましたが、道中は緊張でいっぱいでした。死は人間にとって大きな悩み。Aさんは身体的に苦しい中で、精神的にも死と向き合っておられる。今どんな気持ちなのだろうか? どう声をかけたらいいのか? 頭の中ではそのことばかり考えていましたが、結局、答えの分からないまま病室へと入りました。 早速Aさんと目が合いました。長年お会いしていない方だったので、私が誰か分からないだろうと思い、まずは自己紹介と挨拶をしました。すると 「あー眞治君かい。大きくなったね」と私のことを覚えていて下さり、嬉しい気持ちになりました。 そして「ご飯は食べれてますか?」「眠れてますか?」と何気ない会話を始めたのですが、途中からはAさんの方から色々とお話をして下さいました。 30分ほどのお話の中で特に印象に残っているのは、戦後間もない物のない時代の話でした。 「教会につながる者同士で、みんながあったまれる場所を作ろうという話になったんだ。それぞれが貧しい中ではあったけれども、コートを買ったつもり、御馳走を食べたつもりになって、釘やトタン、垂木などの材料を買って持ち寄って、手作りで教会建物を建てたんだよ」と、若い時代に人のたすかりを願って歩まれた日々の事を懐かしそうに語っておられました。 さらに続けて、「僕はね、死ぬのは全然怖くないんだよ。借りた物を返すだけのことでしょ。これから神様の懐に抱かれると思うと、もう嬉しくて嬉しくて仕方ないんだよ」と、本当に嬉しそうな顔で私に聞かせて下さいました。 天理教の原典『おふでさき』では、   このものを四ねんいせんにむかいとり  神がだきしめこれがしよこや (三 109) と記され、神様によって迎え取られた魂は、そのあたたかい懐に抱かれるのだと教えて下さっています。 また、天理教では死ぬことを「出直し」と言います。死ぬことがこの世で生きることの終わりを意味するのに対して、出直しは、古くなった着物を新しい着物に着替えるように、お借りした身体を神様にお返しし、また新しい身体をお借りして、再びこの世に出直して帰ってくることを意味しています。 教祖・中山みき様は、末女こかん様の出直しに際して、「可愛相に。早く帰っておいで」と優しくねぎらわれました。先ほどのAさんの言葉は、こうした教えを信じ、人にもそう伝えてきたからこそ自然と湧いてきた思いだったのではないでしょうか。 その後のAさんですが、体調の回復にともない退院され、家族の元へと帰っていかれました。そして何度か入退院を繰り返し、数年後に出直されました。 葬儀の日、私はこの時のAさんの言葉を思い起こしながら、Aさんは悔いのない人生を生きたのだなと感じ、自分もそのような人生を生きられたらなと思いました。 この出来事から21年が経ち、今、私がどう考えているのかと言えば、「悔いもないし、いつ出直すことになってもいい」などという気持ちにはなっていません。まだまだ生かしていただきたいと願っています。 しかし、いつかは出直す。その現実は変...
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    1分未満
  • 自分は自分でいいんだと思える子供に
    2025/05/09
    自分は自分でいいんだと思える子供に 静岡県在住  末吉 喜恵 子供が生まれた瞬間は「本当に、無事に生まれてきてくれてありがとう」と心から思うものです。しかし、成長してくるとその思いも段々薄まってきて、もっとこうなって欲しいとか、もっと勉強ができるようになって欲しいとか、親として欲が出てくるのではないでしょうか。 子供にとっては、親が一番最初の「おもちゃ」だと言われています。どうして親がおもちゃなのでしょうか? 実は子供は、親の反応を見て試しているようなのです。 親は自分が泣いたり動いたりすると感情豊かに反応してくれるので、子供からすれば面白いと感じるようです。子供はそんな親の反応が見たくて仕方ないのです。 ハイハイができるようになった頃から、いたずらをすると、親は自分の用事をほったらかしてすぐに対応してくれることを知っていて、その反応が見たくていたずらをしているのだと聞いたことがあります。 三女が3歳で、長男が1歳の時の話です。お絵描きが楽しくなってきた頃で、「まる」をとても上手に書いていました。 ある日、子供たちが外でケラケラ笑って遊んでいました。いつもはケンカもするのに、その日はやけに仲良く遊んでいるなと思っていました。 結構長い時間そのまま放っておいて私は家事をしていたのですが、外に出てみると、何と石を使って車にお絵描きをしていたのです。 我が家の大きなワゴン車の全面、ありとあらゆる場所にお絵描きをして、車は傷だらけになっていました。 私は驚きながらも、「すごく上手にまるや人の顔を描けてるな~。これだけ大きなキャンパスに書いたら、それは楽しかっただろうな~」などと脳天気に思いましたが…そんなこと言っている場合じゃありません!「どうしよう!夫に叱られる!」 そこで、どうやったらそのお絵描きの傷が消えるか考えました。当時いろんなアイデアを紹介しているテレビ番組があり、その中に、「歯磨き粉で簡単に車の傷が消える!」というアイデアを見たことを思い出しました。 子供たちと一緒にきれいに消そう!と、歯磨き粉とタオルを用意しました。思いの外、車がきれいになるので、子供たちも楽しそうに消す作業をしていました。 しかし、案の定この一件を知ったパパは子供たちを思い切り叱りました。子供たちも泣いて謝りました。 「人様の車に同じようなことをしたら、こんなことでは済まされない」「歯磨き粉で消したら、一時はきれいに見えても余計に傷がつく」と、私も子供たちと一緒になって叱られました。確かにそれはその通りだと反省しましたが、今となっては懐かしい思い出です。 その後も子供たちのいたずらは続きました。壁に書いてはいけないということは分かったようですが、押し入れの中だったらバレないとでも思ったのでしょうか? 今度は押し入れの中に入り、またまた絵を描いたのです。それもマジックペンで! でもその時はなぜか「車よりはマシか」と思えるようになっていたから不思議です。 他にも、わざとボールを当てて障子を破ってしまったり、色々といたずらはしていましたが、命の危険が及びそうなこと以外は、大らかに見守ろうと思っていました。そんなにガミガミ怒らなかったのが良かったのでしょうか、そのうちにいたずらはしなくなっていきました。 ついつい、悪いことをしたら叱るということばかり考えてしまいがちですが、子供は親がどうすれば自分に反応してくれるのか? どれぐらい自分のことを見てくれているのか? 内容よりもその反応の大きさであったり強さを求めているのだと思います。 叱ってばかりいると、子供自身の自己肯定感が下がってしまうので、私は子供がいたずらをした時は、それをやめようとしたタイミングで、「ママの言うこと聞いてくれたね、やめようとしてくれたね」と、プラスの言葉をかけていました。 ついマイナスの言葉になってしまいそうな所を、プラスの言葉にしようといつも心がけました。たとえば、走ってはいけない所で走った場合、「走らない!」ではなく「歩こうね」と言ったり、机の上に登...
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