エピソード

  • 台風前、浅草地下商店街にて《後編》 #24
    2023/10/01
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    30 分
  • 《秋葉原ラジオセンター》御年93の店主が営む、菊地無線電機  #25
    2023/10/01
    秋葉原駅すぐ隣にある「ラジオセンター」。開業は1949年。様々な細かい電子パーツを扱う店舗が犇めき合うこの小さな商業施設の二階にあるのが今回、お邪魔した「菊地無線電機」。店主の菊地さんは昭和4年(1929年)生まれの94歳。先ほどの阿久悠より八つ年上であり、同級生に誰がいるのかといえばオードリー・ヘプバーンです。放送でもあった通り、さらりと「GHQ」や「進駐軍」という単語を繰り出されます。それこそ「区役所の人」くらいの軽さで。歴史の地層が眼前に聳え、崩れ、肩まで埋まります。 赤坂に生まれ芸者さんに可愛がられていた幼少時代の話などは溝口健二が撮ってないのがおかしいほど。毎日のように赤坂に通勤している我々からすれば、赤坂は「吉そば」がある町です。あとは「スナック玉ちゃん」でしょうか。間違っても芸者さんがいる町ではないのです。 さて戦前から戦後にかけての壮絶なエピソードが語られるなか、徐々に私たちの心に翳りが生じ、広がっていくのがわかります。ある意味では「告白」に近いのですが私たち(少なくとも筆者)は、ラジオ番組の仕事をしていながらもいわゆる電器としての「ラジオ」を所持していないのでした。気づけばradikoで聴くようになって久しく、「菊地無線電機」に陳列されている様々なラジオの部品を見ても、一体何の部品かまるで分からないのでした。世の趨勢に従ったと言えば簡単ですが、それでも呵責はベトついて離れません。 「ラジオはね、あんまり聴かないんです」 インタビューの終盤に飛び出した菊地さんのこの言葉は、ラジオを持たぬ呵責の中にいた私たちからすれば、福音でした。菊地さんは七十年以上、ラジオの部品を販売していらっしゃいますが、別段ラジオ番組がお好きというわけではなかったのです。なんというか「ラジオ」と「番組」を扱う人間のそれぞれの凹凸が噛み合った気がします。 恐らく「ラジオ」はこれからも変わっていくのでしょう。 御知らせの通り、今回で『東京閾値』の地上波における放送は一旦終了となります。ご愛聴いただいた方々には感謝を通り越して、なんというかもう、同じ家系図に組み込まれたい、そんな想いでいっぱいです。本当に、本当に、ありがとうございました。 さて次の『東京閾値』はどんな「ラジオ」になるのでしょうか。はたまた上野公園の階段下にいたお二人はお元気でしょうか。南蒲田の人々は「えちごや」というラーメン屋を思い出したでしょうか。浅草で髪を切った時の代金は経費になるのでしょうか。東京閾値は、ずっとそこにあります。 甚謝:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • 台風前、浅草地下商店街にて #23
    2023/10/01
    大型台風13号が東京に最接近したその日、松重ディレクターと筆者は「こんな日だからこそ、どんな方がいるのだろう」と息巻いて浅草地下商店街へと向かったのです。 誰もいません。本当に、誰も。全休符。ただ錆色の沈黙が広がるばかり。「何で誰もいないんだろうか」など思わず愚問が唇から溢れましたが、答えは今ほど述べた通りでした。台風です。人は、帰るのです。同語反復も良いところです。 加えて時刻はまだ夕方。17時を回ったか回らないか。シャッターが下ろされた飲食店の営業時間は18時以降が多いのです。浅草地下商店街に直結の地下鉄へと続く道を人々が帰っていくなか、時間、やること、持て余せるもの全てを持て余して天井を見上げればむき出しのダクトより、水が滴り落ちてきます。いかなる俳人をしても風流を見出せない水滴が、床に溜まっていきます。 諦めてはいけません。幸いにも浅草地下商店街入り口に座っていた男性にお話を伺うことができました。男性は普段、浅草、押上周辺を主に拠点とされており、今は台風を避けるため、一時的に地下商店街に座っておられたとのこと。 これまでの職歴やご出身、普段のルーティンなど男性は訥々と初対面の我々にお話してくださいました。一点、どうしても気になることがありました。男性は、指輪をはめていらっしゃったのです。薬指に。 訊いて、よいのでしょうか。 ちらほら、地下商店街のお店のシャッターが開き始めています。天井から床に滴った水を店主の方がモップで拭いております。そろそろ台風の夜が始まろうとしています。振り返れば男性はもう、別の拠点へと向かっておりました。 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • 野方文化マーケットと《オンリーワン》#16
    2023/08/27
    「最寄りのコンビニの店員さんが最近、派手な髪色から黒髪に戻してしまったけど(所属しているに違いない)バンドの方向性が変わったのだろうか?」など不要な憶測をしてしまう人が、誰の中にも一人や二人、いらっしゃるはずです。筆者の場合、野方という町にいました。 ちょど中野駅と高円寺駅を底辺に、二等辺三角形を描くような位置にあるのが野方。熱心なハルキストである皆様のことです。「ああ、『海辺のカフカ』で謎の老人、中田さんが住んでいた町ね」とピンときていることでしょう。さてそんな『海辺のカフカ』には一切、描かれなかった場所が今日の舞台です。 袋小路に蓋をして、闇市ごと煮詰めたような外観。春樹が書きこぼすのも無理はありません。かりに「大島渚がマイクを持って、襲いかかる野坂昭如たちを打擲しまくる一人称視点ゲーム」があったとすれば、最初のステージに設定されそうな場所です。この前提の時点で既に読み手を突き放していることは重々承知ですが、先を急ぎましょう。そんな野方文化マーケットに於いて尚ひときわ、異彩、というか異音を放ち続けているのが、こちらのお店。 2畳ほどの店舗に床から天井まで隙間なく積み上げられた、大量の鞄や衣類や楽器たち。朝から晩まで野方の路地に響き続ける「安いよ、安いよ、なんでも修理やってます」という不穏な電子音声。店の名前は「オンリーワン」。輸入雑貨を取り扱い、萬の修理をしてくれるお店なのですが、その店主こそ、筆者がかつてこの町を引っ越す際に「何者か知りたかった人」に他なりません。 筆者が住んでいた2009年頃ですが、店主の方が黒髪から白髪になったくらいで、あとは何もひとつ変わりません。強いて言えば、筆者が学生から取材スタッフになったくらいでしょうか。「すみません。TBSラジオで『東京閾値』という番組のスタッフをしている者なのですが、取材させていただいてもよろしいでしょうか。」 いただいた名刺には「黄克誠(コウカセイ)」というお名前が記されております。ご年齢は現在、63歳。肌艶は桃色。「お若いですね」と伝えれば「美味しいもの食べてるからね」と莞爾と笑うのです。都合上、松重ディレクターに取材を交代し「野方を代表する謎の人物」の半生を伺いました。 1960年代。カンボジアにおいて極めて裕福な家庭に産まれ育ち(ご本人の言葉を借りれば「ボンボン」)何不自由することなく幼少期を過ごしたコウさんでしたが青年期を迎える頃にカンボジア・ベトナム戦争が激化。富裕層だったコウさんは台湾へと留学(亡命)。その後、台湾での徴兵に際して、知人を頼りに再び日本へと亡命され、もともと手先が器用だったことから電子機器、精密機械の修理方法を独学で身につけ、暫くは原宿を中心にフリーマーケットで生計を立て、2000年代に家賃が安いという理由で野方へとやってこられたのです。この凄絶な人生を、まるで「一回、結婚に失敗したことがある」くらいのテンションで話してくださるのです。聞き手である我々からすれば、途中からコウさんの唇から溢れる言葉の重さに耐えきれなくなり、呆然。 延々と流れ続ける「なんでも修理やってます」という電子音声が、鼓膜を超えて深々と、脳に、刺さるばかり。その後、ご家族はどうなったのでしょうか。無事、再会することはできたのでしょうか。 「地雷にあたって、死んだ。探しに行ったけど、無理だね。泣いたよ」 さらに、続けて、 「一人になって、だから、店の名前も、オンリーワン」。 文責:洛田二十日 Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • 玉ノ井親方(元栃東関)と《足立区梅田・西新井》#12
    2023/08/27
    玉ノ井部屋に伺う前から、我々の魂胆はもうバレバレでありました。 玉ノ井親方には前日の段階でおおよその「質問事項」を送っておりまして、その内容とくれば、オブラートで何重にも包んではありましたが、早い話が「親方、どうか治安が悪かった頃の足立区エピソードを教えてください」に他なりません。もう、剥き出しでした。 足立区の犯罪発生数が23区でワースト1位の記録を保持。これを80年代のマスメディアがこぞってこれを面白がりすっかり物騒なイメージが浸透。令和の現在において、犯罪件数は劇的に改善されており、徐々にではありますが足立区は「かつて治安が悪かった区」という認識が広まりつつあります。 ということで、当時の足立区の話を聞きたいという浅薄な衝動に身を委ねたのです。 玉ノ井親方が足立区にやってきたのは平成2年(1990年)のこと。当時、親方は中学生。まさに足立区が「全盛期」だった時代に、思春期を迎えていたのです。ちょうど相撲に目覚める過渡期でもありました。 松重ディレクターが薄氷を踏むかのごとく「治安が良くないイメージがありますが」と切り出せば、親方は「良くないイメージというか、良くなかったです」と意外にも磊落にお答えくださいました。 では、どんな具合に治安が悪かったかといえば、親方の話には意表を突かれました。通常、我々が考えるような治安の悪い町といえば、全ての店前にヤンキーが屯し、ちょいとカメラを回せば自然と『クローズ』の実写映画が出来上がる、そんなイメージでした。ところが親方が語る治安の悪さとは、 「あんまり人と人とが喋っているという感覚がない」 我々の想像を簡単に寄り切る、皮膚感覚の宿った言葉。 「(ご近所に)おはようございます、と言っても無視される」 住んでいる人々に覇気がなく、どこか全体が暗澹としている。自転車を盗まれるとか、ヤンキーに殴られるとかではなく、「挨拶が返ってこない」これこそが、実際に住んでいた方でないとわからない、「治安」の感覚。 「おはようございます」この思いを届けたい、この先ずっと。 鈴木雅之のグラサンに当時の玉ノ井親方改、志賀太祐少年の姿が、そっと写り込んだところで、後半へと話は続くのです。 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • 日本のソウルバー総本山、「MIRACLE」に行かなくては《赤坂》 #21
    2023/08/27
    「アレサ・フランクリンは?」「ソウル」 「スティービー・ワンダーは?」「ソウル」 「木梨憲武は?」「曲に依る」 「なぎら健壱は?」「たぶん違う。フォーク」 「所ジョージは?」「絶対違う」 中野ブロードウェイの「フナリヤ」さんの取材が終わった直後。 中野サンモール内の喫茶店で比較的音楽に詳しい松重ディレクターに「ソウル」とはどんな音楽を指すのかを、上記のごとく具体例から掴もうとしたのですが、だんだんと松重も混乱し「曲に依る」ばかり言うようになり、所さんだけが入れない悲しき「ソウル・ワールド」が頭のなかに構築されるだけで全く以ってソウルミュージックの輪郭が掴めぬまま、気づけばもう赤坂のソウルバー「MIRACLE(ミラクル)」内の席に座っており、隣では松重が店主である林さんにこの店の来歴についてインタビューを始めているではありませんか。 そもそも「ソウルバー」という業態も知りませんでしたし、それが赤坂、TBSから徒歩五分のところにあることすらつゆ知らずでした。一歩踏み入れれば、どうやら筆者だけが知らない、恐らくはソウルミュージックの歴史を彩ってきた名盤ジャケポスターの数々。そして、カウンター横には大きな御遺影。無知な筆者でも流石にわかります。この御遺影だけは特別なものであると。 実はミラクルのオーナーであり、ソウルバーという業態のパイオニアでいらっしゃった川畑満男さんが、2023年5月16日に逝去。林さんはこちらのお店を引き継がれたばかり。そうしたなかでも、快く取材を受け入れてくださったのです。 一体、先代の川畑さんはどんな方だったのか。林さんに問えば、とにかく「音楽……」と当然のごとく自粛語が飛び出しましたが実際、音楽愛は凄まじく「MIRACLE」のDJ卓裏だけで1万枚以上のレコードが収められ、これだって川畑さんが蒐集したレコードのほんの一部。お手元にはどれだけの数があったのか。想像するに日本で最も「丸」を見た方かもしれません。 どうでしょうか。ここまで一切、ソウルミュージックについて触れずに書いてしまいました。しかし思い出すほどに、不思議と「MIRACLE」に再びお邪魔したい気持ちが湧き上がって来ます。これはひとえにお店の雰囲気、そして林さんのお人柄によるもの。 「ちょっと興味を持ったら、気軽に寄っていただけら」 そうなのです。ここソウルバー「MIRACLE」は紹介制でも会員制でもなんでもありません。本当に、ふらりと立ち寄っていただいて構わない、そんなお店なのです。そしてそれは先代川畑さんが目指したお店のスタイルでありました。ソウル好きだけが集まるお店ではないのです。そんな素敵な場所を開いてくださっている林さんの愛に感謝しつつ、世田谷で待っている所ジョージを、迎えに行かなくてはなりません。 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • 中野駅で松重がタクシーに乗って帰るまで #18
    2023/08/27
    先ず会議において持ち寄ったネタを吟味しながら「中野サンプラザ閉館のニュースを入り口に、中野ブロードウェイへ向かうのはいかがか」と提案すれば、松重ディレクターは路傍でふやけた湿布みたいな顔をしたまま、何ひとつピンときてくれないので、「いや、まんだらけのお客さんに話を聞くわけでなく、地下にある商店街にいる方々に話を聞きに行きたいのだ」と説明を継げば、少しばかり眉が動き、さらに「要はサブカルチャーの聖地の側面でなく、そこで生活する人々の話を伺うということで」と続ければ、漸く松重も首肯したわけであり、翌日には中野ブロードウェイの地下商店街に集合し、どの商店の方であればお話を伺えそうか、なんとなくの雰囲気を探りながら「どうにも鮮魚店の皆様はお忙しいそうだ」やら「どう考えても店長だと思った人が店長でなかった」「オクラが安かったので、無意味に買った」など収録を敢行する前に、ロケイメージと前口上などの最終調整を行い、いざ収録をスタートさせてみれば、やはりなかなかどうして営業中のみなさまのお話をじっくり腰据えて伺うことは能わず、取材を断られるたび、松重はべこりと音を立てて凹み、それを鼓舞しながら、ロケを進めんとすれば夕刻を前にして確認したところ、どうにもデータが破損しておりました。 ここから先、共有されている音源は筆者もリスナーの皆さんもほぼ同じです。 松重の折れた心は一服や二服では元に戻ることなく青木繁『海の幸』のような足取りで中野ブロードウェイを後にし、泥濘に似た沈黙のなか、松重が捨て鉢気味に「帰宅の道中のタクシーの運転手さんに、賭けます」とだけ言い残して去っていった次第です。まさかこの『松重帰宅』がそのまま『東京閾値』に成り得るだなんて、誰が予想できたでしょう。松重も驚いたに違いありません。 以上のようなことを考えながら、先ほど買ったオクラを入れたカレーを拵えれば「ああ、オクラ入り、と、お蔵入り、がかかっているな」など思いつき、放送後記に書くか書かないか迷って、書いた。 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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  • 23区唯一の自然島に人は住んでいるのか《妙見島》#19
    2023/08/27
    「今日は何も為なかった。心は塞ふさがれている。昼間べか舟で「長」と妙見島へ渡り、土筆を摘んだ。柳も折って来た。慰まない。寝よう。」 「今日昼「長」をのせて青べか舟で大川を漕いだ。妙見島へ上って枯草の上に仰臥て微風の温かい陽を身に浴びた。」 山本周五郎が残した「青べか日記」において、妙見島はこのように登場しております。なお「長」とは今もある吉野屋の四代目主人であった長太郎さんのこと。 この日記が書かれたのは昭和三年頃。若かりし山本周五郎が少年と連れ立って、妙見島にべか舟で上陸し、つくしを摘んだり、枯れ草の上に寝転がったり、随分と長閑な時間を過ごしたことがわかります。 筆者も松重ディレクターと連れ立って向かいましたが、そこに広がっていたのは「サイバーパンク」な工場地帯。周五郎、話が違うではありませんか。土砂運搬用の大型トラックが道路を往き交い、昼寝などしようものなら轢かれるだけです。 「青べか日記」の時代から百年近くが経過し、すっかり「工業島」となった妙見島。ここで働いている方にお話を伺おうというのが今回の『東京閾値』です。 何名かの方に簡単にお話を伺ったのですが、共通していたのは「特に妙見島に愛着はない」ということ。いくら二十三区唯一の「自然島」と言われていようが、タモリ倶楽部がやってこようが、そこに勤めている方からすれば「職場」に過ぎません。 さて、気のせいでしょうか。 午後6時を過ぎて、急激に人の数が少なくなってきています。工場の稼働もなくなり、トラックもどんどん島から出るばかり。 嫌な予感がします。 そういえば、この妙見島に住んでいる方はいらっしゃるのでしょうか。いないなら、この帰宅ラッシュを逃したら、妙見島は無人島になってしまうのでは。もしそうなったら撮れ高不足です。いよいよ島唯一の老舗ラブホテル「ルナ」の入り口で誰かくるのを待つしかないのでしょうか。 島に灯りが消え、希望も消え、宵闇に包まれる中、はるか向こうに赤い火が見えました。人魂でしょうか。いや、タバコです。希望の火です。まだ人が残っていました。でも一体、どうしてこんな時間まで。 「会社の寮に、住んでるんですよ」 まごうことなき、妙見島で暮らしている島民でした。 大きな会社があれば、会社寮があっても不思議ではありません。 男性はこれから十分かかけて、浦安へひとり飲みに行かれるとのこと。 「青べか日記」のような長閑で楽しげな雰囲気が男性から伝わってきます。 護岸と堤防工事ですっかり輪郭が固められた妙見島。地図でみればその形状は驚くほど「べか舟」に似ているのです。 副読本:山本周五郎『青べか物語』と『青べか日記』 文責:洛田二十日(スタッフ) Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices
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    30 分