流れのほとりに

著者: キリスト教たんぽぽ教会
  • サマリー

  • キリスト教たんぽぽ教会の礼拝で語られたメッセージ音源です。
    キリスト教たんぽぽ教会
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あらすじ・解説

キリスト教たんぽぽ教会の礼拝で語られたメッセージ音源です。
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エピソード
  • 十字架という王座(マルコの福音書15章22節~27節)
    2025/04/06

    序)過去の意味を変える神のみわざ

    ・イエス様を信じて、ついていく人生=神の国を生きる人生は、最も悪い状況からでも逆転勝利を生み出す力をいただいて生きることができる。

    ・過去の出来事は変えられないが、その意味を変える神の恵みがある。

    1)嘲りと蔑みに満ちた十字架刑~史上最悪の死刑方法~

    ・ゴルゴタ(アラム語)=どくろ=カルバリ(ラテン語)は、都の外にあった十字架刑の執行場所に向けて、総督官邸から行列が組まれる。イエスの首には「ユダヤ人の王」と書かれた札が提げられていた。

    ・王の凱旋行進を模しながらも、嘲りに満ちた行進は、ゴルゴタに到着し「没薬(苦味)を混ぜたぶどう酒」によって最高潮に達する。

    ・主イエスの身体からはぎ取られた衣は兵士たちによってくじ引きにされるが、マルコはこれを詩篇 22 篇の御言葉(ダビデが王位を追われ都を追われた時に関連した嘆きの歌)によって綴ることで、最悪の場面において、神のことばが成就していくことを暗示する。

    2)右と左に並べられた強盗~ピラトの思惑~

    ・ルカの福音書では「強盗(バラバの仲間で“革命家”の意味)」と主イエスとのやり取りが記されるが、マルコの目的は別のところにある。

    ・マルコ 10:35~37 で、イエスが神の国の王となる時、その右と左に座ることを弟子たちは求めていた。いわゆる「右大臣と左大臣」である。

    ・主イエスは弟子たちの願いに対して「わたしの右と左に座ることは、…備えられた人たちに与えられるのです。」と答えられた。そして 15 章で「右と左」に「強盗」が両脇を固めるという事実に向き合わされる。

    ・三本の十字架、その中央に「ユダヤ人の王」を配し、王座を模すことで、ピラト流のユダヤ社会への侮辱となっている。

    3)十字架という王座~神の計画~

    ・ピラトの思惑を超えて、主イエスは十字架の上で本当に神の国の王になった。十字架は真の王座に、ゴルゴタへの道は勝利への行進になった。

    ・神の国は、この十字架を王座として、この世界を逆転させる。

    ・イエスに従う者が招かれているのは、自分の十字架を負って、イエスと共に右と左の位置につくことである。人間の目には最悪でも、神の目に栄光と映る場所が、十字架である。この場所こそ、神のよみがえりのいのちの力を受けられる場所である。(マルコ 10:43~44)

    結)この世界に栄光を取り戻すために

    ・神はあなたの人生を充実させる「幸福の神」ではなく、十字架という王座に、あなたと共に着いて、この世界を癒す働きを行おうとされている。

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  • 痛みも侮辱も不条理も(マルコの福音書15章15節~21節)
    2025/03/30

    序)「完全完璧」をはみ出す神

    ・ギリシア哲学者たちは、完全完璧な神は苦しむことはない。苦しむとしたら、不完全な存在だと考えた。

    ・しかし聖書の神は、苦しみを知って(体験される)方である。

    1)十字架と区別される痛み~奇妙なむち打ち刑~

    ・ローマの十字架刑の慣わしからすれば、通常、十字架の前にむち打ちが行われることはなかった。

    ・ピラトはイエスを十字架につけることは不釣り合いだとわかっていて「群衆を満足させる」ことに腐心したので、むち打ち刑を決めた。その結果、二重の刑罰が執行されてしまった。

    ・ローマのむち打ち刑は、ひどく残酷なもので、回数の上限はなく、むち打ちだけで死に至る場合もあった。そのようなむち打ちの後では、十字架を担ぐことは不可能で、クレネ人シモンが担がされることになった。

    2)無意味で理不尽な苦しみを救うもの

    ・十字架の苦しみは、すべての人の罪を背負い、身代わりに死ぬという意味がある。しかし、このむち打ちはそのために必要なものではない。

    ・意味を見出せない苦痛が、私たちの人生にも影を落とす。

    ・福音は、その無意味な苦しみをイエスが最大限味わわれたと記すことによって、苦しむ私たちとの繋がり(絆)を作るという意味を生み出す!

    ・苦しむ姿を見ることは、精神的ダメージを負う。神は苦しむ世界を、ご自分の愛する者同士が虐げ合う世界から目を離されない。

    ・復活のキリストの身体に、十字架の傷跡は残されたが、むち打ちの傷はすっかり癒されていた。イエスのいのちに繋がる時、無意味な苦しみの傷は癒される。

    3)心に刻まれる無駄傷~侮辱されるイエス~

    ・皇帝の即位式を模した形式で行われたイエスへの侮辱は、十字架刑への手続きとは無関係な、兵士たちの鬱憤晴らし、無法地帯であった。

    ・聖霊によって、この出来事が聖書に記されたゆえに、このキリストの苦しみは、私たちの苦しみを包みこむ「包帯」になった。

    結)痛み苦しまれたイエスを信じることから生まれる生き方

    ・自分の痛みや苦しみをイエス様と比べて「私の痛みは大したことがない」と言い聞かせて我慢することは、不健康なことであり、孤立を促進する。真面目な人ほど陥りやすい罠。

    ・不条理な痛み、苦しみは主イエスとの連帯を生むとき、癒しのスタートになる。

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    34 分
  • 歪んだ世界で見出す希望(マルコの福音書15章6節~15節)
    2025/03/23

    序)「ロクでもない素晴らしき世界」

    ・この世界は素晴らしいもので満ちているのに、ロクでもない現実が突き付けられる。私たちは戸惑い、世界の意味、いのちの意味を問われる。

    ・私たちのいのちは「授かりもの」である。聖書を通して語りかけてくださる神との出会いが、私たちに希望を与える。

    1)私たちの世界と地続きの歪んだ世界~~A.D.30 年春のエルサレム~

    ・四者の登場人物によって、この出来事が展開する。

    ①ピラト:ローマ帝国の役人で総督。ユダヤ属州に派遣された。ユダヤ属州はローマ帝国の中で統治が難しい地域。ユダヤ人の唯一神信仰へのこだわりの強さがたびたび暴動を引き起こした。ピラトの人生哲学は「事なかれ主義」。正義や理想がないわけではないが、二の次だった。

    ②バラバ:ローマ帝国の支配からユダヤ人を解放しようと信仰心によって立ち上がり、革命を起こそうとしたが、失敗した。神が味方してくれると信じたが、そうならなかった。

    ③群衆:匿名の安心感の中で声を上げ、ピラトの脅威となった。

    ④祭司長たち:ローマが保護するユダヤ人の信仰に関する権威。ピラトの弱みにつけこんで立ち回る「ずるい人々」。

    2)ロクでもない人々のロクでもない行動が巻き起こす十字架刑

    ・この日の前日に祭司長たちは、総督に頼んで派兵し「お尋ね者」を捕らえていたが、ピラトの調べでは無罪放免がふさわしかった。

    ・祭りに合わせて行う恩赦で、この男を釈放すれば群衆の人気を取り、祭司長たちに一泡吹かせられるとピラトは計算した。

    ・ピラトの計算を超え、祭司長たちの思惑は強く、群衆は扇動され、ピラトの事なかれ主義も手伝って、十字架刑がねじ込まれる結果になった。

    3)ロクでもない世界をひっくり返す福音

    ・もしこの出来事がここで終わるなら、絶望しかないが、福音書には続きがある。この男(イエス・キリスト)は十字架にかけられ、死んで葬られて三日後、よみがえった!(参照:第一コリント 15 章 3~4 節)

    ・素晴らしき世界にロクでもないものを持ち込んでしまうのは、人間の心の闇(罪)。私たちの心から神が締め出されるなら、神のいない世界になる。

    ・十字架につけろと叫ぶ人々のただ中に、救い主イエスは黙って立っておられる。その罪をすべて引き取る救い主として彼は十字架にかかられた。

    ・救い主イエスを信じるなら、神が味方する革命があなたの心と人生に始まり、あなた自身が、この歪んだ世界で希望の人になれる。

    結)革命は一人ではできないから~A.D.2025 春の府中で~

    ・次世代を担う子どもたちのために、大人たちよ、輝こう!

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