『流れのほとりに』のカバーアート

流れのほとりに

流れのほとりに

著者: キリスト教たんぽぽ教会
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このコンテンツについて

キリスト教たんぽぽ教会の礼拝で語られたメッセージ音源です。キリスト教たんぽぽ教会 キリスト教 スピリチュアリティ 聖職・福音主義
エピソード
  • もっと祈りたい(マルコの福音書9章14節~29節)
    2025/06/22

    序)イエス様の言葉に戸惑う

    ・イエス様が 3 人の弟子と山に登っている間に「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊」につかれた男性が連れて来られ、麓の弟子たちはこの霊の追放ができなかった。その理由に私たちは戸惑う。

    1)この種のものはメシアでなければ追い出せない?!

    ・この当時、悪霊追放の術式がある程度確立されていて、悪霊とコミュニケーションを取って、その名を聞き出すことができれば、追放が可能だった。それゆえ「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊」は厄介であり、メシアが来られるまでは癒されることはないと考えられていた。

    ・「祈りによらなければ」とは、大きな問いを発する言葉である。

    →現代社会において「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊」の問題に向き合う可能性は低いが、これは「神の国が臨んでいるしるし」であり、神の国の力を具体的に現すことは現代も変わらないはずである。

    2)山の上と山のふもと~天に昇られたイエス様と地上の私たち~

    ・15 節の群衆の驚きを含め、麓の様子は、イエス様不在の世界を象徴する。イエス様は天に昇られて目の前にはいない。そういう世界で手をこまねいて議論ばかりする(再臨ばかりを待ち望む)私たちの姿である。

    ・イエス様の登山はモーセのシナイ登山と重ねられている。モーセ不在の中で、イスラエルは金の子牛を造る。弟子たちは不信仰を露わにする。

    ・「いつまで一緒にいなければならないのか」は「いつも共にいます」とは矛盾しない。別の表現で「いつまで、あなたがたのお世話係をしないといけないのか」という嘆きである。イエス様に見捨てる意図はない。

    ・共に歩むとは自立した人格同士の行うことであり、もたれ合い、甘え合うことではない。神に甘えた状態では、御国の現れが限定される。

    3)「祈り」への挑戦

    ・「祈りによらなければ」は福音書を受け取った教会にも戸惑いを与えたことが「祈りと断食によらなければ」と書き加えた写本から推察できる。

    ・これまで続けて来た祈りはほとんど「神に頼む祈り(願い)」だったとすれば欠落していたのは「神に頼まれる(状態になる)祈り」ではないか。

    ・神に頼まれる祈りには、覚悟が要る。自分を「危険」にさらすことである。イエス様が山の上で祈られたのは、この祈り。御言葉(モーセとエリヤ)との対話を含む理性的なもので、自分を変える祈り。

    結)もっと祈りたい

    ・「主の祈り」の前半は「神に頼まれる祈り」だと気づかされる。

    ・「できるなら」は「神に頼む祈り」の世界「信じる者にはどんなことも」が神に頼まれる祈りの世界である。

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    49 分
  • すべてを立て直す計画に(マルコの福音書9章11節~13節)
    2025/06/15

    序)聖書の素晴らしさと難しさ

    ・聖書の言葉を通して信頼すべき神がわかり、神と出会うことができる。

    ・聖書は異文化・異言語で書かれているだけでなく重層的な書物である。

    1)神はすべてを「立て直そう」としている

    ・「立て直す」…「倒れたり傾いたりしたものを直して、元通りに立てる」「悪くなったものを、回復させる」こと。現状に問題があることが前提になっている。

    ・「すべて」が神の立て直しの対象である。歴史のトレンドは立て直す方向に進む。「世界は破滅する」のではない。

    ・「すべてを立て直す神」を知っているなら、希望をもって生きられる。

    2)立て直しを必要としている歪(いびつ)な世界に生きている私たち

    ・この世界が「正常」であるとすると、この世界で生きづらさを感じ、適合できないのは、自分だけに問題があることになる。

    ・権力を持った支配者が、自分の都合にあわせて社会の仕組みを作っていくのが世の常であり、それを絶対化して正常と呼ぶことはできない。

    ・私たちはストレスを低減するための「正常性バイアス」という思考回路により、自分の生活世界を「正常だ」と思いこむ癖がある。

    ・「昔は良かった」にも注意。過去の苦しさは忘れられ美化されやすい。

    3)神の仕事に信頼する―時間をかけ、要所に注力する神―

    ・神の「立て直し」は、遅いように思えるかもしれない。しかし世界の立て直しには時間をかける必要があり、神の知恵に信頼することが最善である。機械であればリセットボタン一つで立て直せることも、生物にとってはそうではない。急激な変化は命取りになる。

    ・世界の立て直しの要所は「人間の立て直し」である。世界が歪になっている根本原因は、人間が神から離れて生きている結果、自分のあり様を見失っていることにある。

    ・古い時代の人間が神から離れた結果、私たちは神を知らず、歪んだ世界の中で生まれ育ち、何が正常なのかわからないまま生きている。そういう私たちに神は「帰っておいで」と語りかけている。

    結)神の招きに応え、立て直しの道に進むには

    ・世界が歪であるとしても、自分も今や問題の一部であり、問題を生み出す原因にもなっていると認めること。そして自分の問題をイエス・キリストには解決できると信頼すること。

    ・立て直しのパートナーとして「エリヤ(=神の力と知恵に満たされた預言者)」が送られる。それが 21 世紀においては教会が担っている役割。

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    36 分
  • 大胆な祈りへ~平和を福音する神殿に~(エペソ人への手紙2章17節~22節)
    2025/06/08

    序)ペンテコステ(五旬節)の意味

    ・聖霊が降った?教会の誕生日?→神殿が再建された日である。

    ・古代において神殿(どの神々と繋がるかは別として)は、その町の保護と祝福、平和を呼び寄せるために建てられた霊的インフラだった。

    1)聖書を貫く神殿の歴史的展開

    ・最初の神殿=エデンの園は小高い山の上に造られた天然の神殿だった。

    ・バベルの塔=人間の力によってエデンの園を回復しようとした企み。

    ・極小の回復されたエデンの園=モーセの建てた幕屋(テント式神殿)

    ・ソロモンによって建てられた神殿は、シオンの山に建てられた。

    →神殿奉献の祈り(第一列王 8 章)において①社会正義の実現②侵略からの守り③いのちの豊かさの 3 つで 1 つの「平和」をソロモンは祈った。

    ・イスラエルは失敗し神殿から締め出されて捕囚になる。70 年後に再建された神殿には、神の栄光(臨在)は戻って来なかった。

    →紀元 30 年のペンテコステにおいて、バベルの塔の逆転(多言語で一つにされる)が起こり、イエスを主と信じる人々の群れは神殿になった。

    2)使徒パウロによる教会・神殿の明確化

    ・17 節「キリストは来て」は、天の父の前に「来た」ことを意味する(ダニエル書 7:13 参照)。すなわち天に昇られたことを指している。

    ・「福音として伝える」は「福音する(ユーアンゲリゾマイ)」であり、言葉の伝達を必要としない。福音のことばを信じ受け入れた人に罪の赦しの証しとして聖霊を注ぎ、神殿に造り変えたことを指している。

    ・21、22 節の「なる」は現在形で、現在進行形のニュアンス。なぜ進行形なのかは、数が少ないからではない。救われた者たちの組み合わされ方が問題になっている。

    3)「神殿力」を高めるために

    ・町ごとに置かれた神の教会が神殿力を高めるなら、その町は特別に祝福された状態になっていく。社会正義×安全保障×いのちの豊かさ=平和

    ・神殿力を高めるための 1 つ目は、神様と私の関係を太く強くすること。

    →地「使徒たち(新約聖書)」と「預言者たち(旧約聖書)」=御言葉を学ぶ

    →天 生きておられる神様と霊的な交わりをもつ(祈り、賛美)

    ・神殿力を高めるための 2 つ目は、教会のお互いの間にある「壁」を壊し、受け入れ合い、与え合い、赦し合うこと=粘り強く対話し、共に歩み、ひとつになることを求め続けること。

    結)平和を福音する神殿に

    ・縦の関係(神様との繋がり)×横の関係(兄弟姉妹の壁を壊す)=神殿力であり、聖霊の力の現れとなっていく。

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    48 分

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