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サマリー
あらすじ・解説
序)「完全完璧」をはみ出す神
・ギリシア哲学者たちは、完全完璧な神は苦しむことはない。苦しむとしたら、不完全な存在だと考えた。
・しかし聖書の神は、苦しみを知って(体験される)方である。
1)十字架と区別される痛み~奇妙なむち打ち刑~
・ローマの十字架刑の慣わしからすれば、通常、十字架の前にむち打ちが行われることはなかった。
・ピラトはイエスを十字架につけることは不釣り合いだとわかっていて「群衆を満足させる」ことに腐心したので、むち打ち刑を決めた。その結果、二重の刑罰が執行されてしまった。
・ローマのむち打ち刑は、ひどく残酷なもので、回数の上限はなく、むち打ちだけで死に至る場合もあった。そのようなむち打ちの後では、十字架を担ぐことは不可能で、クレネ人シモンが担がされることになった。
2)無意味で理不尽な苦しみを救うもの
・十字架の苦しみは、すべての人の罪を背負い、身代わりに死ぬという意味がある。しかし、このむち打ちはそのために必要なものではない。
・意味を見出せない苦痛が、私たちの人生にも影を落とす。
・福音は、その無意味な苦しみをイエスが最大限味わわれたと記すことによって、苦しむ私たちとの繋がり(絆)を作るという意味を生み出す!
・苦しむ姿を見ることは、精神的ダメージを負う。神は苦しむ世界を、ご自分の愛する者同士が虐げ合う世界から目を離されない。
・復活のキリストの身体に、十字架の傷跡は残されたが、むち打ちの傷はすっかり癒されていた。イエスのいのちに繋がる時、無意味な苦しみの傷は癒される。
3)心に刻まれる無駄傷~侮辱されるイエス~
・皇帝の即位式を模した形式で行われたイエスへの侮辱は、十字架刑への手続きとは無関係な、兵士たちの鬱憤晴らし、無法地帯であった。
・聖霊によって、この出来事が聖書に記されたゆえに、このキリストの苦しみは、私たちの苦しみを包みこむ「包帯」になった。
結)痛み苦しまれたイエスを信じることから生まれる生き方
・自分の痛みや苦しみをイエス様と比べて「私の痛みは大したことがない」と言い聞かせて我慢することは、不健康なことであり、孤立を促進する。真面目な人ほど陥りやすい罠。
・不条理な痛み、苦しみは主イエスとの連帯を生むとき、癒しのスタートになる。