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サマリー
あらすじ・解説
序)イエス様を信じ、困難を乗り越え、御国を目指して歩む教会
・「わたしの(忍耐の)ことばを守る」…箴言 7:1 の言い回しを引用しており、イエス様の忍耐によって示される知恵ある生き方を指す。
・「わたしの名を否む」(=イエス様を主としないあり方、行動)教会が多かった中で、真実さが保たれていたのがフィラデルフィア教会だった。
1)「誰も閉じることのできない門」=「開かれた門」とは何なのか。
・黙示録は、大きな区分が区切りを迎える一つ手前で、次の区分で詳しく展開される事柄が先取りして導入される構造になっている。
→14 章 8 節で「大バビロンが倒れた」と記され、詳細は 17 章以降展開
→ここで提示される「門」が 4 章以降に展開されるとわかる。
・開かれた門の先に「御座についておられる方(父なる神)」がおられる。
・「門」というギリシア語は神殿の聖所と至聖所の区切り(至聖所の入口)部分を指すことができる。
→「門」は交流の場である。フィラデルフィアの町は「東洋への門」という別名を持ち、国際交流の場所であった。一般的に、古代の門は、市場、会議、教育、裁判の場であった。
・「開かれた門」とは神との豊かで親密な交わりへの招きを意味する。
2)「鍵を持つ方」に愛されている確信~開かれた門の力①
・「鍵を持つ」とは所有権と裁量権をもっていることを意味する。1 章では「死とよみの鍵」と記され「ダビデの鍵」と裏表の関係にある。罪をもったまま神の前に立つなら死ぬ。罪の赦しが鍵である。
・「サタンの会衆に属する者」とは外見はユダヤ人だが内実が神の民にあるまじき者、迫害者のこと。彼らが「足もとにきてひれ伏す」とはイザヤ書 60 章 14 節の暗示引用。イザヤ書では、異邦人がユダヤ人の足もとにひれ伏すことで、まことの神を認めるのだが、ここではその関係が逆転している。
・この者たちを教会に「与える」と主は言われる。それは迫害者が教会の忍耐を通して、信仰者に変えられるという約束。
3)誘惑を退け、勝利する~開かれた門の力②
・「地上に住む者たち」=「地に住む者たち」と訳される「見かけ倒しの信仰者」のことを意味する。試練(誘惑)により、その本性が明らかになる。
・開かれた門に出入りし、神と交わり、知恵を得る者は、誘惑(よその女の企み)を見抜き、これに惑わされない。それが「試練の時には、わたしもあなたを守る」の意味。
結)「御国の門(かど)」に勇みて昇らん!
・主イエスは、神を豊かに親しく知る、知恵の泉へと招いて下さる。