-
サマリー
あらすじ・解説
前回に引き続き、『教師 宮沢賢治のしごと』から、当時の賢治先生の授業についての紹介です。 農学校ならではの授業や、賢治ならではの授業など、楽しそうな授業風景が浮かんできます。授業受けてみたかったなぁ。 =========================================== 【内容】 0:00 問題「賢治先生は英語の授業で英単語のスペリング競争というのをやっていました。生徒たちがもうこれ以上長い単語は無いという状況になった時に、賢治先生が最後に出した渾身の単語とは?」 6:31 賢治先生の教えていたのは、英語・代数・化学・作物・土壌・肥料・気象・実習。今回はそれらの授業の様子を少し紹介します。 7:21 賢治先生の授業を受けるにあたっての3つの心構え「先生の話を一所懸命聞いてくれ」「教科書は開かなくて良い」「頭で覚えるのではなく、身体全体で覚えること」 8:44 ①代数:「諸君の家から学校まで来るのにかかる時間、その100mあたりの1年間の平均時間を出しなさい。」という問題に、様々な場合を想定して時間を出すほど褒められた。 夏目漱石と橋本左五郎のエピソード。 13:31 ②英語:英単語しりとりをしたり、蓄音機を持ってきて発音練習用のレコードをかけて、練習させたりしていた。 15:03 ③土壌:実際に出かけて白地図を土壌で色分けして調べたりした。 16:50 ④肥料:肥料設計の式は身体に染み込むまで教えたり、「稲のごきげん表」を使って稲の状態を把握したり。 17:54 作家としての賢治っぽい授業、音楽と演劇。 18:32 ⑤音楽:ご自慢のレコードを聴いて、浮かんできた絵や文章を書いたり。よく聴いてた曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン『運命』『田園』『月光』『合唱(幻想曲)』、アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク『ユーモレスク』、ジャック・オッフェンバック『天国と地獄』など 23:51 ⑥演劇:賢治作の演劇『飢餓陣営』や『植物医師』『ポランの広場』『種山ヶ原』などをやっていた。 25:19 なぜ芸術の授業に力を入れていたか、それは心が豊かになってほしいから。賢治は「農民の芸術が完成して、それが大衆に支持されるようになって、そうした時に初めて農民の生活が良くなる条件が整う」「世界全体の幸福というものは、生産が上がって皆の生活を支えてゆくことから生まれる」と生徒たちに言っていた。 27:34 賢治先生は芸術の授業を通して、生徒たちに世の中の仕組みに敏感になってほしいという想いもあったんじゃないかなぁ。賢治だけではなく多くの学校でこのような取り組みが行われていたが、政府にとって都合が悪かったのか、大正13年9月に学校演劇禁止令が出される。 賢治って感性の人ってイメージあるけど、結構リアリスティックなのね。by.りょう 32:41 次回は、なぜ先生を辞めて羅須地人協会を設立したのか、を少し話せれば。 おまけ:そんな賢治先生も、赴任当初は友人の保阪くんに「授業がまずいので生徒にいやがられて居りまする」と吐露していた。 【参考にした本】 『教師 宮沢賢治のしごと』畑山博 ============================================ 【のっそのっそについて】 伊豆の2人。 このラヂオや、移動式のブックカフェNOSSONOSSOを営業したりして糊口をしのいでいます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【のっそのっそのSNS】 Instagram→ https://instagram.com/nossoxnosso546 Twitter→ https://twitter.com/nossonosso3 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【おたよりフォーム】 https://forms.gle/BmvLBSWsppshjn5L6 文豪ラヂオはお便りを募集しています。内容は文豪に関係あろうがなかろうが、何でも構いません。お待ちしております。お気軽に。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【BGM】 ・フリーBGM・音楽素材MusMus様 https://musmus.main.jp ・...