• yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

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yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

著者: TOKYO FM
  • サマリー

  • 風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。
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エピソード
  • 第467話『揺るぎない思いだけが、人の心を動かす』-【フランスにまつわるレジェンド篇】ジャンヌ・ダルク-
    2024/08/10
    フランスを救った英雄として、今も語り継がれる、伝説の少女がいます。
    ジャンヌ・ダルク。
    パリ1区から2区。リヴォリ通りをルーブル美術館に向かって歩くと、右手にチュイルリー公園の緑が見えてきます。
    やがてピラミッド広場に到着すれば、そこには黄金に輝く騎馬像。
    その馬にまたがる女性こそ、ジャンヌ・ダルクです。
    彼女を主人公にした映画は40本を超え、イングリッド・バーグマンやミラ・ジョヴォヴィッチなど、名立たる名優たちがジャンヌに扮しました。
    また伝説の聖女を描いた絵画も枚挙にいとまがなく、フランスのゆかりの地に、彼女の銅像が数多く建っています。
    ナポレオンと並び称されるほど、英雄として崇められていますが、実は、彼女の評価・評判には、紆余曲折がありました。

    13歳で神の声を聴き、16歳で戦いに参戦、19歳で処刑されるという、まるでフィクションの主人公のような人生。
    そのあまりに現実離れしたストーリーに、架空の人物ではないか、あるいは時の権力者に捻じ曲げられた捏造の物語ではないかと、憶測やデマが飛び交いました。
    意外にも、1400年代に生きたジャンヌ・ダルクが、フランスの救世主だった女性として脚光を浴びるのは、400年もたってからのことなのです。
    きっかけは、1841年から1849年にかけて、二つの裁判資料が発表されたことでした。
    ひとつは、ジャンヌを異端として断罪する、処刑裁判の記録。
    もうひとつが、ジャンヌ亡きあと、遺族が起こした復権裁判文書。
    この二つの資料で、ジャンヌ・ダルクが実在の人物であり、しかも、神の意志に従順で誠実な、フランスを愛するひとりの少女だったことが証明されたのです。

    百年戦争の混乱の中、イングランド軍に包囲されたオルレアンという街を解放し、王太子だったシャルルを国王の座に導いたジャンヌ。
    しかし、コンピエーニュの戦いに敗れ、イングランド軍の捕虜になってしまいます。
    厳しい詰問を受けながら、彼女は、一度も自説を曲げませんでした。
    「私は、神の声を聴き、それに従っただけです」
    なぜ、19歳の若さで、そこまで強くなれたのでしょうか。
    奇跡の少女、ジャンヌ・ダルクが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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    13 分
  • 第466話『規格品の人生を歩まない』-【フランスにまつわるレジェンド篇】ファッション・デザイナー ココ・シャネル-
    2024/08/03
    ファッション・デザインによって女性の自由を獲得したレジェンドがいます。
    ココ・シャネル。
    イギリスの文豪、バーナード・ショーは言いました。
    20世紀最大の女性は、キュリー夫人と あともうひとり。
    それは、ココ・シャネルであると。
    シャネルは、多くの芸術家を支援しました。
    パブロ・ピカソ、ジャン・コクトー、ストラヴィンスキー。
    彼女が支援するアーティストには共通点がありました。
    革新的で、独創性が飛びぬけていること、そして、それゆえに理解されず、ときには心ない批判、誹謗中傷につぶされそうになっていること。
    シャネル自身、いつも「人がやらないことをやり」、そのことで叩かれ、虐げられてきました。

    父の愛を知らず、母を早くに亡くし、孤児院で育ったシャネル。
    歌手になる夢を抱きますが、オーディションに落ちる日々。
    しかし、絶望の中でも、彼女はある信条を手放すことはありませんでした。
    それは、「特別な存在になるには、ひとと違っていなければならない」。
    シャネルは、自分が感じた違和感、疑問を大事に守り、そこからデザインを発想し、新しいファッションを創り出していったのです。
    初めて富裕層のパーティーに出席したとき、彼女は思います。
    「なぜ、女性は男性を喜ばすためだけに、カラフルな色を身にまとうのでしょう。
    女性の美しい肌をいちばん際立たせるのは、黒。
    だから、私は、黒一色でドレスを作りたい!」
    当時、喪服にしか採用されなかった黒い服を、一般的なものに変えたのは、シャネルだったのです。
    封建的な男性社会にあって、彼女の存在は疎まれますが、彼女は、生涯、生き方を変えませんでした。
    戦争をくぐりぬけ、87年の人生をファッションに捧げた賢人、ココ・シャネルが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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    11 分
  • 第465話『優しさだけが世界を変える』-【静岡にまつわるレジェンド篇】映画監督 木下惠介-
    2024/07/27
    静岡県浜松市出身の、映画監督のレジェンドがいます。
    木下惠介(きのした・けいすけ)。
    黒澤明と同時期に日本映画の隆盛に貢献し、国内外で人気を二分した巨匠です。
    木下が脚本を書き監督した、日本で最初の総天然色映画『カルメン故郷に帰る』は、今年8月、藤原紀香主演で舞台化されます。
    木下を師匠と仰ぐ、脚本家の山田太一は、「いつの日か、木下作品がもう一度注目されるときが、きっと来る」と語っていました。
    コメディ、感動作品、悲劇から社会派のシリアスものまで、幅広いジャンルの映画を撮った彼が、映画に込めた思いとは何だったのでしょうか。
    浜松市には、そんな木下の足跡をたどることができる施設があります。
    『木下惠介記念館』。
    館内には、監督が収集していた灰皿や、愛用していた机、ソファーや所蔵していた本などが展示され、まるでそこに木下惠介がいるかのような息遣いが感じられます。

    浜松の「尾張屋」という漬物を中心に扱う食料品店で生まれた木下は、両親の寵愛を受けました。
    幼い頃に、絶対的な愛情をあふれるほど注がれた彼は、ささやかな日常の中に「優しさ」を見つける天才になったのです。
    戦時中、『陸軍』という戦意高揚映画のメガフォンをとることを命じられた木下は、出征していく息子を涙ながらに追う母の姿を延々、映しました。
    しかし、陸軍からNGが来ます。
    「お国のために戦地にいく我が息子を見送るとき、母は、決して泣かない!」と。
    もしかしたら息子と二度と会えないかもしれないと思う母が、涙を流さないはずがない。
    木下は一歩も譲らず、結局、監督を降ろされてしまいます。
    彼は所属する松竹に辞表を出しますが、幹部に説得され、慰留を受け入れました。
    幹部のひとりは、言ったのです。
    「木下君、君の映画を待っているひとが、たくさんいるんだ!」
    英雄ではなく、市井のひとの弱さと優しさに光をあてた名監督、木下惠介が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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    11 分

あらすじ・解説

風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。
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