『渡部龍朗の宮沢賢治朗読集』のカバーアート

渡部龍朗の宮沢賢治朗読集

渡部龍朗の宮沢賢治朗読集

著者: 渡部製作所
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このコンテンツについて

Audibleで数々の文学作品を朗読してきたナレーター 渡部龍朗(わたなべたつお) が、宮沢賢治作品の朗読全集の完成を目指し、一編ずつ心を込めてお届けするポッドキャスト。 ▼ 朗読音声とテキストがリアルタイムで同期する新体験オーディオブックアプリ「渡部龍朗の宮沢賢治朗読集」iOS版 / Android版 公開中 ▼ 【iOS】https://apps.apple.com/ja/app/id6746703721 【Android】https://play.google.com/store/apps/details?id=info.watasei.tatsuonomiyazawakenjiroudokushu 幻想的で美しい宮沢賢治の言葉を、耳で楽しむひとときを。 物語の息遣いを感じながら、声に乗せて広がる世界をお楽しみください。渡部製作所 アート 文学史・文学批評
エピソード
  • やまなし
    2025/07/13

    📖『やまなし』朗読 – 水底に響く幻想的な蟹の兄弟の物語🌊🦀

    静寂に包まれた水中世界へと誘う朗読をお届けします。今回の作品は、宮沢賢治の『やまなし』。小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈として語られる、時の流れと生命の営みを描いた幻想譚です。

    物語は五月、青じろい水の底で始まります。二匹の蟹の子供たちが、水銀のように光る泡を吐きながら不思議な会話を交わしています。「クラムボンはわらったよ」「クラムボンはかぷかぷわらったよ」——このクラムボンとは一体何なのでしょうか。兄弟蟹の愛らしいやりとりの中に、謎めいた存在の影がちらつきます。

    水の天井を流れる暗い泡、鋼のように見える青い空間、そして突然現れては消える銀色の魚。この静謐な水中世界に、ある日突然の出来事が起こります。白い泡が立ち、青びかりのぎらぎらする鉄砲弾のようなものが飛び込んできたのです。その青いもののさきはコンパスのように黒く尖り、魚の白い腹がぎらっと光って——。父さん蟹は「それは鳥だよ、かわせみと云うんだ」と子供たちを安心させ、「おれたちはかまわないんだから」と優しく声をかけます。

    やがて季節は移ろい、十二月。蟹の子供たちはよほど大きくなり、底の景色もすっかり変わっています。白い柔らかな円石、小さな錐の形の水晶の粒、金雲母のかけら——新しい世界の装いの中で、ラムネの瓶の月光が冷たい水の底まで透き通っています。天井では波が青じろい火を燃したり消したりし、あたりはしんとして、遠くから波の音だけがひびいてきます。

    月が明るく水がきれいなこの夜、眠らずに外に出た蟹の兄弟は、どちらの泡が大きいかで言い争いをしています。そんな微笑ましい兄弟げんかの最中、またしても天井から大きな黒い円いものが落ちてきました。今度はキラキラと黄金のぶちが光っています。「かわせみだ」と身をすくめる子供たちでしたが、お父さんの蟹は遠めがねのような両方の眼をあらん限り延ばして確かめてから言いました。「そうじゃない、あれはやまなしだ」——。

    水の中に漂ういい匂い、月光の虹がもかもか集まる幻想的な光景、そして家族三匹で追いかけるやまなしの行方。横歩きする蟹たちと底の黒い三つの影法師が合わせて六つ踊るようにして進む光景が描かれています。五月の緊張から十二月の平穏へ、恐怖から安らぎへと移りゆく時の流れの中で、小さな生命たちの日常が温かく描かれています。

    この作品は、水という透明な世界を舞台に、そこに住む小さな生き物たちの目線から語られます。クラムボンという謎めいた存在、突然の闖入者たち、季節の移ろいとともに変化する水底の風景——現実と幻想が溶け合う中で、生命の営みと自然の循環が静かに歌われています。蟹の兄弟の無邪気な会話、父さん蟹の優しい導き、そして水面を通して感じられる上の世界の気配が、独特の詩的な世界を織りなしています。

    青い幻燈のように美しく、透明な水のように清らかな物語の世界。時にユーモラスで、時に神秘的な水底の一日と一夜を、朗読でゆっくりとご堪能ください。


    #動物が主人公

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    13 分
  • 雪渡り
    2025/07/06

    ❄️『雪渡り』朗読 – 凍った雪原に響く、人と狐の交流譚🦊✨

    純白の雪が大理石よりも堅く凍り、空も青い石の板のように滑らかに澄んだ、そんな特別な冬の日の物語へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の『雪渡り』。

    「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」

    四郎とかん子の兄妹は、小さな雪沓をはいてキックキックキックと野原に出かけます。雪がすっかり凍って、いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、好きな方へどこまでも行ける素晴らしい日。平らな雪面は一枚の板のようで、それが沢山の小さな鏡のようにキラキラと光っています。

    森の近くまで来た二人は、大きな柏の木が立派な透き通った氷柱を下げて重そうに身体を曲げているのを見つけます。そして森に向かって高く叫びました。「狐の子ぁ、嫁ほしい、ほしい。」

    すると森の中から「凍み雪しんしん、堅雪かんかん。」と言いながら、キシリキシリ雪を踏んで白い狐の子が現れます。それは紺三郎という名の、銀の針のようなおひげをピンと一つひねる小さな狐でした。最初は警戒していた四郎でしたが、狐の紺三郎が思いがけず礼儀正しく、しかも「私らは全体いままで人をだますなんてあんまりむじつの罪をきせられていたのです」と訴えます。

    紺三郎は自分で畑を作って播いて草をとって刈って叩いて粉にして練って蒸してお砂糖をかけた黍の団子を二人に差し出し、さらに「この次の雪の凍った月夜の晩」に行われる幻燈会への招待状を手渡します。ただし、その幻燈会は「十一歳以下」という条件付きでした。

    月日が過ぎ、青白い大きな十五夜のお月様が静かに氷の上山から登った夜、四郎とかん子は約束通り狐の幻燈会へと向かいます。林の中の空き地には狐の学校生徒たちが集まり、栗の皮をぶっつけ合ったり、相撲をとったり、小さな鼠位の狐の子が大きな子狐の肩車に乗ってお星様を取ろうとしたりしています。

    燕尾服を着て水仙の花を胸につけた紺三郎の司会で始まる幻燈会。上映されるのは「お酒をのむべからず」「わなに注意せよ」「火を軽べつすべからず」という三つの教訓的な出し物です。太右衛門や清作が酔っ払って野原の怪しいまんじゅうやおそばを食べてしまった写真、わなにかかった狐のこん兵衛の絵、焼いた魚を取ろうとして尻尾を焼いた狐のこん助の絵が、足踏みと歌声に合わせて映し出されます。

    「ひるはカンカン日のひかり、よるはツンツン月あかり、たとえからだを、さかれても、狐の生徒はうそ云うな。」狐の学校生徒たちが歌う校歌のような歌声が、月明かりの下で響きます。

    二つの章から構成されるこの物語は、堅く凍った雪の上を自由に歩き回れる特別な日を舞台に、人間の子どもたちと狐たちの出会いと交流を描いています。四郎とかん子の純真さ、紺三郎をはじめとする狐たちの礼儀正しさと真摯さ、そして互いに対する偏見を乗り越えていく過程が、冬の美しい情景とともに綴られています。

    雪がキラキラと光る野原、月光に照らされた青白い森、そして「キックキックトントン」という楽しいリズムに乗せて歌われる数々の歌。物語は読者を、雪の結晶のように繊細で美しい幻想的な世界へと誘います。登場人物たちの心の動きが丁寧に描かれ、疑念から信頼へ、警戒から友情へと変化していく様子が、冬の夜の静寂の中で静かに、しかし確実に進んでいきます。

    凍った雪の上を渡りながら紡がれる、心温まる交流の物語。月夜に開かれる幻燈会で、四郎とかん子、そして狐の学校生徒たちがどのような体験を共にするのか、ぜひ朗読でお楽しみください。


    #狐 #人と動物 #少年 #月

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    30 分
  • セロ弾きのゴーシュ
    2025/06/29

    📻『セロ弾きのゴーシュ』朗読 – 夜の水車小屋で繰り広げられる音楽と動物たちの不思議な物語🎼🐱

    静寂な夜に響くセロの音色に導かれる、不思議で美しい物語の世界へようこそ。今回お届けするのは、宮沢賢治の心温まる傑作『セロ弾きのゴーシュ』。

    町の活動写真館でセロを弾く係のゴーシュは、仲間の楽手の中でいちばん下手で、いつも楽長にいじめられています。「セロがおくれた」「糸が合わない」「表情ということがまるでできてない」──練習のたびに厳しく叱られ、ついには「きみ一人のために悪評をとるようなことでは、みんなへもまったく気の毒だ」とまで言われてしまいます。町はずれの壊れた水車小屋で一人暮らしをするゴーシュは、悔しさと情けなさで涙をこぼしながらも、夜中まで必死にセロの練習を続けるのでした。

    そんなある夜、練習に疲れ果てたゴーシュのもとに、思いがけない来訪者が現れます。最初に扉を叩いたのは、半分熟したトマトを重そうに運んできた大きな三毛猫でした。「シューマンのトロメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから」と生意気に注文をつける猫に、ゴーシュはむしゃくしゃした気持ちをぶつけるように、まるで嵐のような勢いで「印度の虎狩」を演奏します。すると猫は慌てふためき、パチパチと火花を散らしながら風車のようにぐるぐると回り始めました。

    翌夜には天井の穴からかっこうが降りてきて、「音楽を教わりたい」と真面目な顔で頼みます。「ドレミファを正確にやりたい」「外国へ行く前にぜひ一度いる」と説明するかっこうとの奇妙な音楽レッスンが始まります。「かっこう、かっこう」と一生懸命に叫ぶかっこうとの奇妙な音楽レッスンが続いていきます。

    その次の晩に訪れたのは、背中から棒切れを二本取り出した狸の子でした。「小太鼓の係り」だと名乗る狸の子は、「愉快な馬車屋」という譜面を持参し、ゴーシュのセロに合わせてセロの駒の下をぽんぽんと叩き始めます。なかなか上手な狸の小太鼓に、ゴーシュは思わず「面白い」と感じるのですが、狸の子からは意外な指摘を受けることになります。

    最後に現れたのは、病気の子供を連れた野ねずみの親子でした。「この児があんばいがわるくて死にそうでございます」と必死に頼む野ねずみのお母さん。ゴーシュが医者ではないと断ると、野ねずみは驚くべきことを告白します。実は近所の動物たちは病気になると、ゴーシュの演奏を聞きに床下にやってきて、その音で病気を治していたというのです。兎のおばあさんも、狸のお父さんも、意地悪なみみずくまでも──みんなゴーシュの音楽によって癒されていたのでした。

    毎夜繰り広げられる動物たちとの不思議な交流。猫の生意気な注文、かっこうの真面目な音楽談議、狸の子の楽しげな小太鼓、そして野ねずみによって明かされる音楽の持つ不思議な力。一見ばらばらに見える出来事が、夜の水車小屋で静かに積み重なっていきます。

    町の公会堂で開かれる演奏会まで、もうあと十日──。第六交響曲の練習に苦戦し続けるゴーシュと動物たちとの心の交流は、思いもよらない展開を見せていきます。音楽を愛する全ての人の心に響く、成長と友情の美しい調べが奏でられる夜の物語です。

    音楽の持つ不思議な力と、努力を続けることの意味が、動物たちとの心温まる交流を通して静かに浮かび上がってきます。下手だと言われ続けたゴーシュが、夜な夜な訪れる動物たちとの出会いの中で発見していく音楽の真髄。それぞれ個性豊かな動物たちとの予想もつかないやりとりが次々と展開されていきます。

    セロの音色に込められた想いと、それを受け取る動物たちの純粋な心。音楽を通して結ばれる種族を超えた友情の物語を、朗読でゆっくりとお楽しみください。きっと、音楽の新たな魅力と、努力することの意味を改めて感じていただけることでしょう。


    #猫 #人と動物 #芸術 #月

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    47 分

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