• #105【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展8:秦
    2025/07/03

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第94回目は東アジア文化圏の形成と発展「秦」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    前221年、秦が戦国時代の動乱を収め中国を統一する。秦王の政は、王の上の君主として始皇帝と名乗った。彼は都の咸陽から全土を支配する中央集権政治を進め、郡県制を用いて地方へ官僚を派遣した。それまでバラバラだった文字や度量衡、貨幣の統一を進め、半両銭を鋳造している。しかし、急速な改革や土木事業の負担、焚書・坑儒に代表される思想・文化の統制などが民衆の反感を生む。始皇帝の死後、陳勝・呉広の乱が発生し秦は滅亡した。

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  • #103【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展6:春秋・戦国時代2
    2025/06/30

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第92回目は東アジア文化圏の形成と発展「春秋・戦国時代2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    前403年に晋が韓・魏・趙に分裂したことに始まり、秦の始皇帝が中華を統一した前221年までを戦国時代と呼ぶ。周王の権威は無視され、有力諸侯が公然と王を自称した。力をつけた臣下が諸侯に取って代わる下剋上の世の中となり、実力主義の時代となった。

    戦国の七雄と呼ばれる斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙、7つの国が天下を争った。富国強兵策の元、牛耕や鉄製農具が普及し農業生産力は向上、刀銭や布銭などの青銅貨幣が使用された。

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  • #102【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展5:春秋・戦国時代1
    2025/06/26

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第91回目は東アジア文化圏の形成と発展「春秋・戦国時代1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    前8世紀の前半、周は内紛や外敵の侵入で鎬京より東にある洛邑に都を移した。これ以降を東周または春秋・戦国時代と呼ぶ。前半の春秋時代は、周は存在するが威光は衰え、覇者とよばれた有力諸侯が勢力争いを繰り広げた。代表的な覇者は春秋の五覇とよばれた。

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  • #101【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展4:周(西周)
    2025/06/24

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第90回目は東アジア文化圏の形成と発展「周(西周)」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    殷の高度な文化は、周辺の邑にも広がった。紀元前11世紀になると黄河上流の渭水盆地からおこった周(西周)が殷を滅ぼし、都を鎬京とする。

    殷が宗教的な威圧により邑を支配したのに対し、周は封建制度を用いた。宗法を重んじ、血縁集団である宗族に封土を与えて世襲の諸侯とし、支配を認めるかわりに貢納と軍役を義務づけた。仕える家臣は卿(けい)・大夫(たいふ)・士の3階層に分かれ世襲された。


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  • #100【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展3:殷(商)王朝
    2025/06/23

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第89回目は東アジア文化圏の形成と発展「殷(商)王朝」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    古代中国の集落である邑(ゆう)の中でも、堀や城壁に囲まれた規模の大きいものは都市国家に発展していった。紀元前1600年ごろに成立する殷(商)王朝も、有力な邑の1つだった。

    王は占いを国政に反映させる神権政治を行い連合体をまとめた。占いの結果をカメの甲羅や動物の骨に記録したため、その文字を甲骨文字と呼び漢字の起源とされている。宗教的権威を高めるための祭祀(さいし)では青銅器が使用された。後期王朝の最後の首都として栄えた殷墟は、現在世界遺産に登録されている。


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  • #99【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展2:長江
    2025/06/19

    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第88回目は東アジア文化圏の形成と発展「長江」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。

    ◇オリジナル基本文

    黄河文明と同時期、温暖で雨が多い長江流域では稲作を中心とする農耕文明が成立した。下流の河姆渡(かぼと)や良渚(りょうしょ)で遺跡が見つかっている。後に、華中と華南は水路網が発達、稲作文化は東シナ海を超えて朝鮮半島や日本列島へと広がることになる。

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  • #98【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展1:黄河文明
    2025/06/17

    #98【通史】世界史⑥東アジア文化圏の形成と発展1:黄河文明


    教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第87回目は東アジア文化圏の形成と発展「黄河文明」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。


    ◇オリジナル基本文

    黄河文明は黄河の中流と下流の農業に適した場所でおこり、アワやヒエが栽培された。


    紀元前5000年ごろに中流域で彩文土器に代表される仰韶文化が開花する。人々は竪穴式住居で生活し集落を形成した。


    紀元前3000年ごろになると、人やモノの行き来も活発になり下流域を中心に竜山文化がおこる。薄手の黒陶(こくとう)や厚手の灰陶(かいとう)と呼ばれる土器が使われた。城壁に囲まれた大規模な集落を形成するようになっていた。

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